🏗️東京・中央区の築地市場跡地で、令和8年7月12日に発掘調査現場見学会が開かれ、約4,000人が来場しました。
会場となったのは、都有地活用事業「築地地区まちづくり事業」の対象地(中央区築地五丁目及び築地六丁目各地内、活用都有地面積194,679.11㎡)です。ここで明治期から大正期にかけての海軍関連のレンガ建物遺構が出土し、大きな注目を集めました。
建設業に携わる方であれば、造成や基礎工事の途中で埋蔵文化財が見つかり、工程調整を迫られた経験がある方も少なくないはずです。🚧今回のケースは規模も歴史的価値も大きく、他人事ではない「まちづくりと文化財」の関係を考えるきっかけになります。
4000人が見た見学会、何が公開されたのか
見学会は9:00〜13:00(受付終了12:30)の日程で実施され、終了後には約4,000人の来場があったことが東京都都市整備局から発表されています。📢この事業は2024年4月に事業予定者が決定し、2025年3月に基本協定が締結されるなど、着実に進められてきた築地地区の再開発計画の一環です。
公開された発掘場所は中央区築地五丁目・六丁目地内の旧築地市場内で、主な時代は江戸時代・近代とされています。🔍
出土したのは、明治15年(1882年)に設置された「クルップ式」製鋼炉(コークス坩堝炉)、明治35年(1902年)上申の「シーメンス式」製鋼炉(ガス坩堝炉)、そして大正期の光学ガラス溶解炉という、複数の時代にわたる構造物が一つの場所に積み重なった遺構でした。
築地市場跡
日本初とされる西洋式製鋼炉の正体
特に注目すべきは、明治15年設置のコークス坩堝炉が、日本で初めて造られた西洋式の製鋼炉と考えられている点です。⚙️地上部分は後世の開発によって失われていたものの、燃焼や蓄熱に関わる地下部分がしっかりと検出されており、当時の技術水準をうかがい知る手がかりになっています。
この地はもともと武家地として整備され、幕末の緊張の高まりとともに軍事訓練施設が置かれるようになりました。その後、明治維新後の富国強兵政策のもとで海軍省用地となり、製鋼や光学兵器の生産拠点として発展していったという経緯があります。🏭
光学ガラス製造という近代工業の転換点
光学ガラス溶解炉が設置されたのは大正6年(1917年)。翌大正7年(1918年)には、幾度もの試作を経てこの地で光学ガラスの製造に成功したと記録されています。
しかし大正12年(1923年)の関東大震災によって施設は壊滅的な打撃を受け、光学ガラスの製造は小石川の日本光学工業株式会社、現在の株式会社ニコンへと引き継がれていきました。💡
近代日本の工業史の転換点が、まさにこの地下に刻まれていたことになります。
建設現場にとっての教訓とは
今回の調査は、築地地区のまちづくり事業に先立つ準備工事の一環として実施されているものです。📋
大規模な都市再開発では、造成前の埋蔵文化財調査が工程に組み込まれるのは珍しくありませんが、今回のように歴史的価値の高い遺構が見つかり、4,000人規模の見学会が開かれるほどの反響があると、調査期間や公開対応など、当初のスケジュールに影響が及ぶ可能性があります。
現場監督や施工管理を担う立場からすると、こうした事例は「工程管理のリスク要因の一つに文化財調査がある」ことを再認識させてくれます。 特に埋立地や旧市街地での基礎工事・造成工事を予定している場合、事前に自治体や都の担当窓口へ確認しておくことが、後々のトラブル回避につながります。
まとめ
築地市場跡地の発掘調査は、都市の記憶と近代工業史がいかに地下に眠っているかを改めて示す事例でした。
約4,000人が訪れた今回の見学会をきっかけに、今後の調査進展にも注目していきたいところです。
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出典:築地まちづくり(東京都都市整備局)(https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/machizukuri/machi_project/toshi_saisei/saisei08)および 築地市場跡遺跡2・発掘トピックス詳細情報(東京都埋蔵文化財センター)(https://www.tomaibun.jp/excavation/post-55.html)をもとに作成








